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   「守」の道は果てしなく
「波佐見の成長はどこにあるのだ」との思いが県内の他団体にあるそうです。確かに質・量ともここ2〜3年の進歩は急激なものがありました。8年間指導にあたってきた私自身にももはや先の読めない状態で,末恐ろしい感じさえします。さて,先ほどの質問ですが,簡単に答えられます。杉並児童合唱団志水先生との出会いです。これで指導者は元より子供たち,そして育成会までゴロッと変えられました。

まず,指導者…。
「守」「破」「離」という鉄則が歌舞伎の世界にあるそうです。芸事などの技を身に付けるには,まず,弟子入り(徒弟制度)して,師匠と一緒に生活しながら師匠の技を盗み,自分のものにすること。これが「守」。その技を盗みきったら,次第に自分独自のものを創り出そうとする心が芽生えてくる。そして,師匠の技を越えようとする。これが「破」。自分独自のものが確立されたら「離」。師匠から離れて新しい境地を打ち立てる。そして今度は,また新たな心あるものがそこに弟子入りする…。「守」「破」「離」の流れで芸術は発展していくというわけです。これは芸事に限らず何にでも当てはまることでしょう。
 さて,本論に入ります。数年前までの私はこの「守」の時期を見過ごしていました。学生時代にちょっと指揮をかじった程度で即,独自性で勝負しようとしていたわけです。独自性といえば体裁のいい聞こえ方をしますが,それは取りも直さず,おごりであり,質の悪い個性の押し売りにすぎないわけであります。よほどの大天才でない限りそうです。いろんな物を知った上での,できた上での個性が本物の個性なのです。そしてその「井の中の蛙」の井手ビッキショ(当地の方言で蛙)を外に連れ出して下さったのが志水先生なのです。「君の棒はブラスの棒だね。(滑石)」「打点の位置が一回一回違うよ。(江迎)」「前に押し出すような指揮は団員からはわかりにくい。(大村)」「力みすぎ,もっと力を抜いて!(波佐見)」「意味のない3拍目の跳ね上げは止めなさい。(福江)」「2拍子の振り方は子どもには見にくいから,こう」(久留米) (カッコ内は指導者講習会を担当した合唱団名)

最初の滑石から7年。教えて頂いたことをしっかり頭に入れてやっているつもりです。が,まだまだうまくできません。(志水先生の指揮は見ているだけで,ため息が出てきます。あれだけでも立派な芸術です。バレエの動きと通じるものがあると思います。腕が単なる体の延長物ではなく,腕そのものが生きているというか,何かしら気色の悪い表現ですが,軽いのに力強い,う〜ん言葉で言い表せない…来年1月をお楽しみに。)つまり,自分のちっぽけな力なんかに頼らず,志水先生の技をなめ尽くぞ!という指導者の意識変革が波佐見の変容につながっていくのです。ただ,「守」の道は限り無く果てしない…。以上「指導者」編。

「子ども」編
 ちょっと古い話になりますが,今春の4回定演か終わって「あんだけ歌って踊って…おしゆっとにやおなかったでしょう」(教えるのが大変だったでしょう…という意の波佐見弁)のねぎらいの言葉をたくさんいただきました。その度に私は「とんでもない!」と手を振ってその誤解を解いてきました。あのステージ上で繰り広げられた踊り,隊形は私は全くのノータッチで子ども達が自分達で創り上げたものなのです。昨年の「紙ヒコーキ」辺りからでしょうか,子ども達は変わり始めました。(それまでの定演は指導者の力量だけで強引に創り上げるステージであったように思います。)与えられた自分達の持ち場を各々が,よりよくしよう,もっと上手に歌おう,もっと綺麗に踊ろう,もっときちんとセリフを言おうという意識が子ども達の間にぐんぐん生まれてきたのです。私の知らない所で自分達だけ集まって練習は進められていったといいます。そう,正規の練習の始まる前,練習が終わってから,そして,練習の休みの日にです。これをお読みの保護者の中にも「うちがその練習会場になった」と言われる方も多いでしょう。(溝口さん宅なんか定演1週間位前は7〜8人やって来て朝8時から夜は11時くらいまでビデオの前にかじりっつきで振り・セリフの練習をしていたそうです。(子ども達の間では溝口宅は「第○サティアン」と呼ばれていたという)そういうふうに指導者の意識を越えた所で,それぞれで練り上げられたものが,ステージ上で一人一人から繰り出されるのです。させられるのではなく,自分がしたい!と願い,その為の努力をし,結果を出すぞ!と自分自身にプレッシャーをかける。だから一人一人が光輝くのです。先日,大村で行われた合同演奏会の時もそうでした。オーディションに合格するために彼女らはどれだけの汗を流したことでしょう。ダンシングチーム(15人)の踊りはまさに圧巻でした。笑顔といい体の弾み方といい,ありゃ,もうプロだ!という評価にもうなずけます。
 さて,そんな子ども達の変容の原因はどこにあるのでしょうか。もちろんこれまた「杉並」なのです。3年前の指導者講習会で直に志水先生からレッスンを受けた子ども達は理想とするもの,恋い焦がれるものを目の当たりにしました。上級生の中には志水先生の指揮でうまくさせられている自分に気づき,レッスン中,涙が出てきた…という子もいました。どんな苦労があっても自分を磨き上げる喜び,そんな意識の変革という贈り物を志水先生,麻子先生は波佐見に残していってくださったのです。それ以来,心ある子は「杉並のビデオを貸して下さい!」とむさぼり観る結果になります。(杉並のビデオは10巻程持っておりますので,ご希望の方はどうぞ。お貸しします。)努力の仕方を覚え,それを表現する喜びを知った子どもは,指揮者である私なんかの力量を遥かに超えるのです。ただ,それが全員かというと,もちろんそうではありません。やってもらおうというお客さん的な子どもが,まだまだ大多数を占めています。特に入団間もない低学年は無理もないことでしょう。焦っても仕方のないことです。待つしかありません。現在の“合唱バカ”も何年もかかってやっと今の“バカ”にまで成長してきたのですから。そして,この合唱バカを何人抱えているかが,その合唱団の“力量”となるのです。

杉並,下関…。先はまだまだ果てしない…。

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